こうしてプロペラによる動力推進は陰に隠れ、当時の技術になじみやすかったパドル式蒸気船が多数建造されるようになる。フルトンの最初の蒸気船から後のおよそ50年間について、当時の代表的なパドル推進船を見てみよう。
●図6(文献1)は、フルトンが最初の蒸気船を改良して1807年に作った全長43メートルのクラーモント号である。この船は帆とパドルを併用しており、はじめてハドソン河の航行に成功した。●図7(文献1)はそのとき搭載された蒸気機関であり、左側に見えるのがパドルである。
●図8(文献1)は、それからおよそ50年を経過した後の、1858年に建造された全鉄製のグレート・イースタン号である。全長210メートルの巨大な船体に、4000人の乗客と1万2千トンの石炭を積むことができた。クラーモント号とグレート・イースタン号との間には、船体設計の上で大きな違いがあった。船体が木製から金属製に変わったことである。もっとも、金属の船体を採用したのは、グレート・イースタン号がはじめてだったわけではない。船体に金属を利用する最初の試みは、フルトンが最初の蒸気船を発明してから約15年後の1821年に行われた。
しかし、鋼鉄で船を作るというこのアイデアは、当初なかなか受け入れられず、1850年頃を境にやっとその優位性が認められるようになった。グレート・イースタン号の成功は、その巨大な船体と相まって、大型船を作る上で鋼鉄船の有利さを示すかっこうの材料となった。この成功が発端となり、1881年には建造中の蒸気船の80パーセントが鋼船になったといわれている。