こうした成功にもかかわらず、造船界はなかなかプロペラを採用しようとはしなかった。隆盛を極めるパドル船に戦いを挑むように、パドル船とプロペラ船の綱引き競争が行われた。なかでもイギリスの海軍省が行った次の公開実験は有名である。
1845年、英国海軍省はプロペラとパドルの優劣をつける目的で、プロペラ式の蒸気船ラトラー号とパドル式のアレクト号の後部どうしをワイヤーで結び綱引き試験を行った。その結果、プロペラを装備したラトラー号が2.8ノットの速さでアレクト号を引いて走り、プロペラの圧勝となった、●図11(文献1)の左がラトラー号で、煙突の煙と旗の向きにラトラー号の勝利が示されている。上に示すのがそのとき使用されたプロペラである。現在のレベルから見ても、基本を押えたエレガントな形状を備えている。
この綱引き競争におけるプロペラの圧勝により、英国の海軍省は率先してプロペラを採用するようになった。この動きは急速に商船にも波及し、パドルは衰退の一途をたどることになるのである。