proprller museum
Nakashima Propeller
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はじめに
第1章 動力推進の幕開け
第2章 動力推進器の黎明の時代
第3章 パドルからプロペラへ
第4章 プロペラの化学のはじまり
第5章 近代海運と大戦の時代
第6章 プロペラの性能の時代
第7章 プロペラの機能の時代
参考文献


7-4.スキュー・プロペラの普及を促したコンピュータ
ハイスキュー・プロペラを成功に導いたのは、なんといってもコンピュータ応用技術の進歩だった。特に、大きなスキューがプロペラの推進性能や翼の強度に与える影響、厳密に計算された形状を忠実に再現する加工技術が決め手になる。1970年代後半は、こうしたコンピュータ応用技術が急速に進歩した時代だった。

1920年頃から研究がはじまった揚力面理論は、揚力線理論の限界を超え、船舶用プロペラの計算精度を高める上で重要な研究だった。しかし、莫大な量の計算を必要とし、計算機が未発達だった1900年代の半ばまではとても実用になるものではなかった。日本では第二次世界大戦頃、航空の分野での守屋のプロペラ理論が完成していたが、実際にこの方法で計算するには図式積分に頼るしか手立てがなかったのである。

ソ連は戦後、守屋の理論を利用して航空用プロペラの設計チャートを作ったが、プロジェクトの終了に数年を要したといわれている。アメリカはこの間にコンピュータの研究を進め、戦後まもなく世界初のコンピュータを作り上げる。しかし、大学や研究機関にコンピュータが導入され、プロペラ設計にコンピュータが活用されるようになるまでにはまだ20年近くを必要とした。

こうして、揚力面理論の研究がはじまった1920年から40〜50年の間に蓄積された研究が、1960年には手計算のために複雑なグラフにまとめられていた揚力面計算の各種の係数が、コンピュータの数値計算の結果として論文に掲載されるようになる。そして1973年には、日本の船舶技術研究所で開発された揚力面計算プログラムが公開され、国内の造船所、プロペラメーカに導入された。日本の造船界に本格的なプロペラ理論計算法が浸透した最初の出来事であった。

また、この頃は、有限要素法と呼ばれる構造解析の手法が広く工業界で利用されるようになった時期でもある。この理論も揚力面理論と同様、コンピュータの計算力なしにはまったく機能しなかった。しかし、コンピュータの助けを借りれば、形状と外力を与えられる限り、どのような物体であろうとその強度をくまなく表現することができたのである(●図33)。

さらに、工場の生産設備の自動化が進んだのもこの時期からである。1974年、ナカシマプロペラは大型プロペラ用の翼面加工機を導入する(●図34)。この加工機は非常に剛性の高いロボットとでもいうべきもので、直径10メートルに及ぶプロペラを、機械精度0.2ミリという高い精度で削り出すことを可能にした。

このように、1970年を境にプロペラのあらゆるプロセスにコンピュータが導入され、アイデアを実現する手段が整った結果生まれたのがハイスキュー・プロペラだったのである。スキューがプロペラ性能にあたえる影響、曲がりくねった翼の強度評価、それを計算に忠実に作り上げる加工技術、そのすべてがコンピュータの賜物であった。
スキュー・プロペラの普及を促したコンピュータ
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