プロペラの理論が進化しはじめたのもこの頃であった。その背景には、1900年代の初頭を境に急速に進歩しはじめた航空機の影響があった。
1903年にライト兄弟が最初の動力飛行に成功した当時、彼らが必要とした飛行のための知識は、科学と呼ぶにふさわしい方法から得られた。すなわち、実際の飛行機の製作と同時に風胴を使った模型試験が行われ、試験結果から実際の状況を予測する計算的な手法が平行して開発されていたのである。(●図20:文献2)こうした科学的な手法により、ライト兄弟は必要以上の試行錯誤を繰り返すことなく、空気力学の知識にそった形で動力飛行に成功することができた。彼らはキティーホーク号(●図21:文献2)のプロペラを、「らせん形のコースをたどる翼」と理解し、エンジンの回転エネルギーの66%を前進推力に変える、すばらしい効率のプロペラを作り上げた(●図22:文献2)。
飛行機の出現は流体力学の急速な発達を促した。1800年代の終りまでに、流体力学の基礎となる数学的な理論はかなりの発達を見せていた。しかし、翼に働く力が流体力学で直接扱えるようになったのは、1904年にプラントルが発表した境界層理論と、同じく彼が作り上げた1918年の翼理論以降といえるだろう。プラントルの理論は、翼の揚力と坑力を理論式で、それも高い精度で予測することを可能にした。プラントルの功績はその後、門下生のカルマンらによって受け継がれ、境界層理論や乱流理論へと発展していく。
翼の理論が進歩した結果、ライト兄弟が示した翼としてのプロペラという見方そのままにプロペラ理論が発展する。1910年頃には、プラントルの有限翼幅の理論はプロペラに応用され、揚力線理論を生み出す(●図23:文献4)。この揚力線理論は、翼とその後流を連続した渦糸で置き換えて数学的に解くもので、翼の細長い航空機のプロペラ性能計算には充分な精度を持っていた。
しかし、翼幅が広い船舶用のプロペラには翼を渦線で扱うのは適切ではなく、渦面で扱う必要があった。1920年代になると、このプロペラ翼を渦面で扱うという考え方、すなわち揚力面理論が登場してくる。
こうして、航空機の登場とともにプロペラの理論は急速に進歩するが、この時代、舶用プロペラの形態が大きく変わることはなかった。