proprller museum
Nakashima Propeller
marine propeller TOP
※本文中のリンクをクリックすると図が表示されます
はじめに
第1章 動力推進の幕開け
第2章 動力推進器の黎明の時代
第3章 パドルからプロペラへ
第4章 プロペラの化学のはじまり
第5章 近代海運と大戦の時代
第6章 プロペラの性能の時代
第7章 プロペラの機能の時代
参考文献


1850年頃 パドルからプロペラへ
〜日本ではこの頃、江戸幕府が滅亡(1867年)し、アメリカでは南北戦争(1861年)の後、海運経済の要となるスエズ運河の開通(1869年)を迎えていた。
3-1.全金属船の誕生
こうしてプロペラによる動力推進は陰に隠れ、当時の技術になじみやすかったパドル式蒸気船が多数建造されるようになる。フルトンの最初の蒸気船から後のおよそ50年間について、当時の代表的なパドル推進船を見てみよう。

●図6文献1)は、フルトンが最初の蒸気船を改良して1807年に作った全長43メートルのクラーモント号である。この船は帆とパドルを併用しており、はじめてハドソン河の航行に成功した。●図7文献1)はそのとき搭載された蒸気機関であり、左側に見えるのがパドルである。

●図8文献1)は、それからおよそ50年を経過した後の、1858年に建造された全鉄製のグレート・イースタン号である。全長210メートルの巨大な船体に、4000人の乗客と1万2千トンの石炭を積むことができた。クラーモント号とグレート・イースタン号との間には、船体設計の上で大きな違いがあった。船体が木製から金属製に変わったことである。もっとも、金属の船体を採用したのは、グレート・イースタン号がはじめてだったわけではない。船体に金属を利用する最初の試みは、フルトンが最初の蒸気船を発明してから約15年後の1821年に行われた。

しかし、鋼鉄で船を作るというこのアイデアは、当初なかなか受け入れられず、1850年頃を境にやっとその優位性が認められるようになった。グレート・イースタン号の成功は、その巨大な船体と相まって、大型船を作る上で鋼鉄船の有利さを示すかっこうの材料となった。この成功が発端となり、1881年には建造中の蒸気船の80パーセントが鋼船になったといわれている。
全金属船の誕生 パドルの陰で行われていたプロペラの研究 パドル式推進がかかえる問題
可動式パドルの登場 プロペラの優位性を証明した綱引き競争
もどる
次の頁